Hosaka Partners LLC.
ホサカパートナーズ合同会社
不動産鑑定士として、何ができるのか。
何をすべきなのか。
公益社団法人 日本不動産鑑定士協会連合会会員
不動産鑑定業者 愛知県知事登録第(3)377号
ホサカパートナーズ合同会社
代表社員 穂坂文雄
職業:不動産鑑定士
国土交通省登録番号:第07229号
(2003年3月28日登録)
今、私が暮らせているのは、
皆さんのおかげです。
本当にありがとうございます。

Think

Humanity
ホサカパートナーズ合同会社
会社は、私自身。
My company is myself.
(豊かですか)
Are you rich?
夜中に目が覚め、静寂の中、思い出した事がありました。
それは、父が私の結婚式の時に伝えてくれた話でした。
父は「今、日本は豊かになったんだなと改めて実感したと、
私の時代は貧しかった。食べ物も着る服もなかった。
戦争に負け、焼け野原の中を懸命に生きてきた。
そして、今、こんなにもモノが溢れ、
美味しいものも食べれるくらいに豊かになった。
ただ心はどうかと。
心は豊かになっているのかと。」
そして、私の半生を振り返ると、
バブルが崩壊し、大学を卒業しても就職ができない時代でした。
失われた30年と言われる中、
勝ち組負け組等と揶揄される格差時代となりました。
確かにモノは溢れ、ネットが発達し、
とても便利な世の中になりました。
ただ、便利なデジタル社会が進む一方で、
人情深さや思慮深さはどうでしょうか。
父の伝えてくれた心は果たして豊かになったのでしょうか。
無邪気に笑う子供たちを見ていると、
その心をどうか忘れずに生きて欲しいと願うばかりであります。
(願いの詩)
Poetry of the wish.
救急車で緊急搬送されたあの後、
私は、今後の事ばかり反芻しながら過ごしていました。
この食事が最期になるかもしれないとの思いが脳裏を過る中、
夕闇が刻々とに迫ってくる。
朝までのひたすら長い静寂の時間を、
再び激痛が走るかもしれない
恐怖の中を一人孤独に
過ごしていました。
だから、翌朝の朝陽を迎える度に、
ただ、ひたすらに感謝しました。
私は、生きている。
生きている。
ありがとうございますと、
ふとした時、
昔励まされた歌を聴きました。
『もしも僕があの頃の僕に手紙を出せるなら、
どれくらい真実で書けるだろう。
眩い光にうつむく日もある。
希望の重さに負けない孤独な強さを、
想いは未来も運命も変えていく。
きっとこんな時代でも・・・』
あの時は、念願の不動産鑑定士の
最終試験に受かりましたが、
夢見た鑑定業界に対する
理想と現実の違いに愕然とし、
私の将来展望は暗かった。
そんな中で、車の運転中に
この歌がラジオから流れてきました。
『あの頃の僕に手紙を出せるなら、
どれくらい真実で書けるだろう』
との歌詞が何度も私の胸に響きました。
そして、あっという間に約20年以上の歳月が流れた今、
あの歌は、時を超えて再び私を、
励ましてくれています。
真摯な励ましの詩で
私は、救われています。
将来に悩んでいた過去の自分に
今の自分から、
「将来はそんなに悪くないよ。
良いことあるよ。
だから、頑張れ!」
と手紙を出すだろう。
そして、もう一つ、
塞ぎこんでいた私に向け、
人生経験豊富な鑑定士の大先輩からいただいた
温かい励ましの言葉も思い出しました。
「次からは良いことがあるよ。」
(親思う心にまさる親心)
Parental affection which excels the heart which thinks of parents.
by 吉田松陰
私は、時々、ふとした瞬間に、優しく力持ちであった頃の父の姿を思い出します。
幼い頃の私は、父の帰りを待ち焦がれ、そんな私を帰宅した父は、優しく抱きかかえてくれました。
いつしか時は流れ、高齢になった父は、末期の舌癌に侵され人生の最終章を迎えました。
そこには、かつて5人の子供を育てあげてくれた大きくて逞しい一家の主としての面影は、見当たらず、酸素吸引をし、自力歩行が困難な程やせ細った姿には、数々の注射針の痛々しい刺し跡がありました。
私は、入退院を繰り返す度に弱って行く父の姿をなかなか受け入れることが出来ません。
それでも見舞いに行くと優しい微笑みを見せてくれる父。
事あるごとに頑張れと励ましてくれる父。
遠い病院のベッドから子の幸せを心から祈ってくれる父。
見舞いに行った際に、見せてくれる父の微笑みは、優しく力持ちであった頃の父の姿を思い起こさせ、あの頃の優しい眼差しの父と何ら変わりません。
就職の面接の際に、夢は、両親を世界一周旅行に連れて行く事と話し、
その事を知った父は、とても嬉しそうにしていました。
親不孝ながらその夢を果たせず、国内周遊旅行に格下げとなってしまい、ごめんなさい。
衰弱した父の手を握り返し、伝えます。
父さん、どうもありがとう。又、孫を連れて会いに行くからねと。
父と会える回数は、もうあまり残されていないのだと、そして、今、人生について教えてくれているのだと悟りました。
その後、容態急変の知らせを受け、駆けつけた際には、父は、口を大きく開け続け、苦しそうに息をしていました。
父は、生きようとしていました。
脈拍が弱り、警告音が鳴り続けて、刻々と父との別れの時間が迫ってくる中、涙が溢れてきました。
そして、父は、私達の前から瞬く間にいなくなってしまいました。
父は、焼け野原を目の当たりにして、価値観を根底からひっくり返され、物が何もない中でも、画家になるんだという大きな夢と希望を抱き、
日本で唯一の国立総合芸術大学である東京藝術大学の大学院まで進み、必死に生きてきました。
名古屋で一人暮らしを始めた時に「ここが文雄のスタート地点だな」と言ってくれましたね。
父さん、私は貴方のおかげで元気に暮らせています。
青空を見上げ、心の中でそっと言います。
『父さん、どうもありがとう。今日も頑張るから。』
(絆)
The bonds with family
父に続き、長兄も旅立ってしまいました。
兄の最後の言葉が「苦しい、助けて。」だと聞きました。
兄は、私の憧れでした。
長い闘病の中、兄は『元気になって家族を守る』という私達との約束を果たそうと最後まで戦ってくれました。
体調が悪化し続け、眠れず今が昼か夜かも理解出来ない中、
腹水を出そうと意識が朦朧となりながらも
自分の手でお腹を擦り続けていました。
兄は、可能性がどんなに低くても
どんなに副作用が辛くても
あらゆる治療方法に挑戦してくれました。
静まり返った無機質な病室の中で
寂しかったろうに、
不安で堪らなかったろうに、
痛かったろうに、
悔しかったろうに、
辛かったろうに、
もっともっと生きて子供達の成長を見ていたかったろうに、
兄は、私に長兄としての生き様を教えてくれました。
自分がどんなに辛くても私を励ましてくれました。
身近な人の死は、『生命の尊厳』と『生きている今この瞬間の意味』を
深く考えさせてくれました。
無菌室から出れた時に、兄の弱った体を泣きながら擦り続け、
『無菌室から出れて、本当に良かったね。』と伝えると、
兄も涙を流して『ありがとう。文雄も頑張れよ。』と言ってくれました。
家族の絆を、そして、この世に生を享け、今を生きる意味を教えてくれました。
(懐古)
Retrospection
新幹線に乗車中に自分の人生を懐古する方が多いと耳にした事があります。
これは一定の速い速度で風景が後ろへ後ろへと過ぎ去って行くのを眺めていると
これが時間の流れのように感じるからではないかと思います。
今回もまた、乗車中にもう遠い昔の事になってしまった事を懐かしく思いつつ、
いつの間にかに多くの歳を重ねてきている事に驚き、
様々な後悔も思い返しながら、これからの事を考える事が出来ました。
(自分らしく)
Be yourself.
私は、中学3年の後半から
悪口を言われるようになった経験があります。
卒業したら無関係になれるし、
負けていない面があるので、
卒業まで後少しと思えたから我慢できました。
もし、中学1年等、もっと早くから始まっていたら、
人生が終わっていたかもしれません。
誰にも言えなかった。
時折、心配してくれる友人がいましたが、
弱い奴と思われたくなかったから、
全く気にしていないと強がって見せていました。
また、職場でも陰湿で辛い思いをしました。
目標があるから何とか耐えられた。
もう人生の大半を過ぎましたが、
この辛い思い出として、
今でも消えることのない遠い昔の記憶であります。
今、辛い思いをしている人に伝えたい。
貴方には生きていて欲しい。
もし、辛いなら、
学校や職場なんて行かなくて良い。
世の中は、とても広い。
今の学校や職場なんて、
とてもとても小さな世界、
いくらでも貴方らしく生きられる場所が必ずあります。
貴方らしく生きて欲しい。
私も自分らしく生きて行くから。
(記憶)
Memory
記憶は、その人の人生であると聞きました。
忘れてはならない。
忘れる事は出来ない。
癒える事の無い想い。
兄の夢を見ました。
病室に入ると兄はベッドに寝ておらず、
窓際に立ち、灼熱の夏の陽気を恨めしそうに眺めていました。
兄に声を掛けると
兄は振り返り、優しい微笑みを浮かべるのでした。
兄のその姿は、とても若々しく、眩しくて
「兄さん・・・」
私は兄に何も話し掛ける事が出来ません・・・。
目が覚め、流した涙を拭い
幼い頃に兄に肩車をして貰った事を思い出しました。
長い年月が過ぎると
少しは安らぐのでしょうか。
忘れてはならない。
忘れる事は出来ない。
(孝行したい時に親はなし)
No parents when I want to be filial.
親孝行していますか。
「孝行したい時に親はなし」という言葉があります。
私にとっても、しみじみと胸に刺さる言葉です。
先般、親元を離れ遠くに暮らす子があと何回親に会えるかがわかる算式を目にした事があります。
(平均寿命 — 親の年齢) ×(年平均の帰省の回数)
以外と少ない事に気付き、一族が一同に会するお正月の大切さを認識しました。
親からの愛情が当たり前であり、不変で限りがないように思え、
巣立ちの時期には、恥ずかしながら親の愛情が疎ましくさえ思えました。
子が親の無償の愛情の深さを知るには、自身の成長を要するのかもしれません。
「孝行したい時に親はなし」
後悔しないように過ごして参りたいと思います。
(麒麟の翼 )
Kirin's Wings.
東京の日本橋にある麒麟の像、
日本中、ここからどこへでも旅立つことができる。
麒麟の翼は、親の子を想う気持ちの深さを、
恥じることなく、正しく生きていける人間への成長を願う
素晴らしい小説であると思います。
子の幸せを心から願い
子の幸せの為なら
親はどんな事でも歯を食いしばって耐え
遠くからでも
いつでも
いつまでも
子の幸せを願っている。
「忘れてはいけない事はその子の為、
何があっても負けないと誓った事だ。」
「勇気を持て。」
「真実から逃げるな。」
「自分が正しいと思う事をやれ。」
もういない父からの言葉のように思えました。
(帰省)
Homecoming
お盆は忙しい日常から離れ
今の自分は、父や母だけではなく、祖父や祖母、
更に曾祖父等の先祖のおかげであると感じさせてくれる大切な日本の文化であると思います。
祖父はその存在を写真でしか知らず、
祖母もまた、あまり多くの時間を共に過ごした訳ではないので、
幼い頃は墓参り等、その意味を正直良く理解する事が出来ていませんでした。
今、父と兄はいなくなってしまい、
大好きな父と兄は大空にいますが、
父と行った店や兄が好きな野球やキャンプ場等を目にすると、
自然と元気だった頃の父や兄の姿を思い出し、運転中でも涙が零れてきます。
何もしてあげられなかったとの後悔の念にも苛まされます。
目をそっと閉じ 手を合わせて、 ありがとうの言葉を伝えつつ、
誰にも言えない弱音を吐かせて貰うと、
『頑張れよ』と肩を叩いて貰えている気がします。
『頑張れよ』と。
そして、愚息の寝息を聴きながら その小さい背中を眺めていると、
何故自分はこの家に生まれてきたのか、
幼い時からの疑問に対する答えを得る事が出来た気がしました。
(次世代に繋ぐ)
Connect to the next generation
子は、親の背中を追いかける事で成長をするのでしょうか。
私は、父の背中を追いかけて
試行錯誤を続け、
迷走をしながらも
父の背中を追いかけ
ようやく父の背中の輪郭が見え始めて
強く偉大であると思ってきた父にも
身近な自分の友人のように思える面が増えた矢先、
父はいなくなってしまいました。
父は、「私達子供達に強くなって自分を越えて欲しい」と心から願い、
一方では、簡単には越えさせないように生きてくれました。
父が私達にしてくれたように
私も「子供達に強く生きて欲しい」と願いつつ、
簡単には越えられないように生きて行きたいと思います。
(親子将棋)
Shogi
最年少で数々の記録を打ち立てている藤井聡太君に魅了され、
私もキュボロ等の知育に関心を寄せた子育て世代です。
藤井君のおかげで幼少期に父と将棋をした記憶が甦りました。
将棋の本を読むことが楽しくなり、
櫓で父に勝った事がとても嬉しかった記憶です。
そして、今、父が私にしてくれたように
愚息と将棋をしています。
オセロでは、既に簡単に父超えをされてしまいましたが、
将棋ではまだ父の威厳を保てそうです。
ところで、将棋では
投了後にそれぞれの棋士がいとも簡単に駒を戻して検討をしており、
その圧倒的な記憶力に驚愕します。
名前を思い出せず、日々狼狽している自分からすると
棋士の超人的な記憶力には感嘆の声を上げずにはいられません。
ある有名な棋士による逸話で
「兄達は頭が悪いから東大へ行った。自分は頭が良いから将棋指しになった。」とまで
言わしめられた将棋の世界で通算タイトル100期を目指し、
数十年もトップを走り続けている羽生さんに心からの敬意と憧れを抱いています。
羽生さんから藤井君への天才の継承
好きな事を続けられる能力と好きな事が大嫌いになっても続けられる能力
努力の塊が天才を創造するものと感じています。
(あれから)
Since then
夕暮れにふと、歳を取った事を感じていました。
そんな時にAIによる美空ひばりさんの新曲を聴きました。
「あれから、元気でいましたか?」
「随分、月日が経ちました。」
「何度も歌った歌をもう一度歌いたくなります。」
「なぜだか涙が止まらない。」
「心がただ震えています。」
「あれから、どうしていましたか?」
「私も歳を取りました。」
「今でも昔の歌を気づくと口ずさんでいます。」
子供の時には、感じる事が出来なかった
人生を感じる事が出来ていました。
歳を取ったからだと思います。
(留守番電話)
Answering machine
今朝、夢を見ました。
『元気ですか?』と心配してくれている親からの留守電の夢でした。
それは、私が名古屋で社会人になり、一人暮らしを始めてから毎日入れてくれていたあの留守電でした。
聞き慣れた声ですが、若々しく元気な声でした。
少し寂しそうな顔をしながらも
連絡がないのは元気な証拠だと思っていると言ってくれていましたね。
当時は、何も仕事ができず、上司や先輩方に迷惑ばかり掛け続ける毎日でした。
食文化等にも慣れず、戸惑い、追い込まれいた時期でした。
それでも親に心配を掛けてはいけないと強がっていた時期でした。
連絡をせず、本当にごめんなさい。
私はあなたのおかげで元気です。
ありがとうございます。
(今を生きること)
Seize the day.
一つ一つの出会いを大切に
ホサカパートナーズ合同会社